関あつしQ&A

皆さまからのご質問・ご意見をもとに、Q&A集にまとめております。

Q.家族について
私は今、舟場の築200年の古民家に住んでいますが、東京に妻と息子が二人、息子のお嫁さんと孫が一人います。
しばらく鹿角を離れていましたが、心はいつも鹿角とともにありましたね。
鹿角を離れてもその魅力・素晴らしさは、どこまでも私を追いかけてくるんです。


Q.山や森林の仕事に携わることになったきっかけは何でしたか
私は鹿角で生まれ育ち、百人一首かるた大会や町廻り駅伝に出たり、七夕の大太鼓をたたいたりしていました。
高校生の時八幡平の縦走に参加し、八幡沼や長沼の湿原と高山植物、もうせん峠を通り焼山に登りました。
鳥海山、岩手山、八甲田を望み霧と晴れ間の中を歩きながら、ふと「山で働くのもいいな」と思ったのが始まりです。


Q.京都大学では貴重な経験をされたそうですね
京都大学に合格すると鹿角の教育に尽力されてきた毛馬内の高橋克三先生に「湖南先生のつくった大学へ入ったね!」と喜んでいただきましたが、入学式で学長が「京都大学建学の精神は内藤湖南にある」と言われ、東洋史学の授業が「内藤湖南の説によれば」で始まったのには驚きました。
本業の林学でも毛馬内の瀬川清子先生の『食生活の歴史』が使われており、鹿角の先人が京都大学でここまで影響力を持っていたことに深く感動しました。
鹿角には日本の発展におおきく貢献している方々がおられます。その足跡を鹿角の財産として大事にしていきたいとおもいます。


Q.50年間、全国に「鹿角を持ち歩いていた」とか?
農林省林野庁を主な職場として福島、栃木、群馬、長野など全国の山々で勤務しました。
この間ずっと花輪の大里武八郎先生の『鹿角方言考』と瀬川清子先生の『食生活の歴史』を持ち歩いていました。
『鹿角方言考』は鹿角の言葉や衣食住やお参りなど民俗学的な辞典でもあり、『食生活の歴史』は農山村の食生活を論じた本ですが、これらの本のおかげで各地の言葉や民俗、食文化に関心を持つことができ、それぞれの地域と鹿角との交流の可能性に考えを巡らせたりしていました。この体験は私が政策を考える上での一つの大切なベースになっています。

また、山仕事のおかげで、多くの鹿角人とお会いすることができました。
林業では鹿角の方が結構いて、高い技術力と知見を持って活躍しておられました。
尾去沢鉱山や小坂鉱山の関係者も多く、私は鹿角人であるというだけでずいぶん助けていただきました。
中部森林管理局長として長野県副知事の阿部守一さんにご挨拶にうかがった時、阿部さんは「父は谷内出身で、花輪高校卒業生です」とおっしゃっておられました。
現在は長野県知事として活躍しておられますが、長野県と鹿角市とは共通点も多く、今後蕎麦やリンゴや桃、スキーなどで交流が期待できます。


Q.山仕事の中で、特に印象に残っている仕事は?
国有林では歴史的、伝統的な建築物の維持のために木材を供給していますが、私は伊勢神宮の式年遷宮という20年に一度すべての神社を建て替える事業に携わらせていただきました。
これは1300年前から続いている事業です。
平成17年6月3日に長野県木曽郡上赤町赤沢で行われた御杣始祭では、私がその木材を選定するという重責を仰せつかりました。これは絶対に失敗の許されない仕事でした。
儀式の時隣席にいた方に「関くん、昔はこの仕事は万一失敗すれば切腹ものだったんだよな」と真顔で言われたことを今でも覚えています。

Q.隈研吾さん設計の東京オリンピック・パラリンピック競技場の建設にも関わったとか?
今回の新国立競技場建設には日本の全都道府県から木材が集められました。
設計者の隈研吾さんは、世界の祭典である東京オリ・パラの競技場は鉄とコンクリートではなく絶対に木でなくてはならないという信念を持っていました。
しかもその木材は国際的なPEFC森林認証基準(合法性、持続性、環境保全、労働安全、地域の伝統を守る)を満たす森林のものでなければならず、それが全都道府県から集められるということは、日本の森林国土全体の健全性・持続可能性を象徴するものなのです。
このミッションを受け、全国を飛び回って各県で森林認証を行い、適正な森林経営をしている森林より木材が出され、国立競技場は完成したのです。この競技場を完成させたこと自体が、日本の未来に大きな希望を与えることだと私は考えています。


Q.鹿角の印象は前と比べてどう変わりましたか。また今はどう過ごしていますか。
最近では急激な人口減少、生まれる赤ちゃんの激減、若者の県外流出、公共事業の減少、経済の行き詰まり、商店街には活気がなく、医療・福祉への不安など、多くの市町村が抱えるような問題が大きくなっています。
しかしそれでもなお、私が行ったどの市町村と比べても「わが故郷鹿角」ほど恵まれているところはないと断言できます。豊かで美しい自然はもちろん、温泉や宿泊施設、歴史や文化や祭りなどの観光資源、りんごや桃や野菜も美味しく、人々は温かく人情味豊かで、どれをとっても「わが鹿角は全国一」というのが今の私の鹿角の印象です。
私は若い頃、鹿角組合病院の建設や畜産業の立ち上げなどに関わり、佐藤洋輔市長はじめ鹿角市や農協の皆さんに学ばせていただいたことにずっと感謝しておりました。
帰郷後は森林評価の仕事をしながら鹿角市先人顕彰館の研究員や秋田県森林審議会委員として地元振興のお手伝いをさせていただき、鹿角産業文化研究所を立ち上げ「鹿角学講座を開設して鹿角の未来について多くの方々からご意見をいただき、学ばせていただいたことに感謝しております。


Q.『北東北ゴールド構想』というスケールのでかい構想があるそうですが…
「人は一人では生きられない」といいますが、市町村も全く同じです。鹿角は北東北の中心にあり、豊かな自然に囲まれ、半径100キロ圏内には200万の人が住んでいます。
黄金の鉱山の歴史があり、産業や文化に恵まれています。
ここには県境がありますが、住んでいるのは気質のよく似た人々です。交流を妨げているのは、私たち自身にほかなりません。鹿角市の方から隣県や近隣市町村に手を延べれば、その協力関係はすぐにも現実のものになります。
では協力関係を結んで何をやるのか。私は、藻谷浩介さんが提唱している「里山資本主義」を推進すべきだと考えています。山と森林を仕事の場としてきた私には「マネー資本主義」で荒廃しつつある現代社会を立て直すには、もはや「里山資本主義」しかないとさえ思えます。
鹿角そして北東北には豊かな森林と美しい農地があります。里山資本主義を展開するための資源は豊富にあるのです。
そしてこの連携の輪を全国各地の市町村にも広げたいのです。

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